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2006年7月17日 (月)

『THE JAM論』

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THE JAMが登場した時代

1960年がビートルズの時代であったとするならば、1970年代は誰の時代でもなかった。70年代はレッドツェッペリン、エアロスミス、クイーン、ヤードバース、ジミヘンドリックス、イーグルス、など様々な大物バンドが誕生し、「ロック」という音楽の多様性を広げていった。今回とりあげる「THE JAM」が登場したのは1977年、同年にはザクラッシュ、ダムド、などがデビュー、一年前の1976年にはセックスピストルズがデビューしている。

この1977年、と言う年を、わりと私は重要だと思っていて、この時、世界では何が流行っていたか?と言うと、実はビージーズによる映画のサウンド・トラック「サタデー・ナイト・フィーバー」である。なにせ全世界で6,000万枚という驚異的なセールスを打ち立てた。そんなビージーズに象徴されるように、世界的にディスコ・ブームが巻き起こり、ロックが大衆化してしまう時代でもあった。この大衆化の波に乗るように後に、ローリングストーンズ、クイーン、エアロスミスのような、いわゆるロックジャイアンツといわれるようなバンドがあいついで米国のヒットチャートをにぎわし、世界中で自分達の音楽のセールスを伸ばしていった。そして、この波にのって1981年にMTVが誕生する。この時、MTVはワーナー・コミュニケーション社とアメリカン・エクスプレス社によって設立される。映画でひともうけした会社が、さらにロックをつかって金儲けするために、MTVというものを打ちたてた。ロックはショービジネスとしての道をこの年からひたすら歩き始めることになる。

パンクムーブメントの裏側で

THEJAMはそんな年に誕生した。しかも、英国では三大パンクバンド「ピストルズ、クラッシュ、ダムド」とクラブミュージックが全盛期の時である。戦国時代のようなロックの時代に彼らは誕生した。孤高のロックジャイアンツと言えよう。私は正直、パンクムーブメントの圧倒的な印象が強いため、正直、THEJAMの事はあまり知らなかった。彼らの事を知るまでは、「この年って要するに、テクニックがうまいショービジネスロックに反発をもった三大パンクバンドができて、メジャーシーンに反発したい人達がパンクを聴いていたんでしょ」というぐらいに思っていた。ただ、オアシスのノエルギャラガーが大絶賛をしていたバンドということでしか記憶には残っていなかった。

ただ、そのパンクムーブメントの先頭を走ってきたピストルズが1978年に解散。クラッシュも79年のロンドンコーリングでパンク路線を転換。パンクの勢いは衰えた。露骨な政府・体制批判、ディスとーションのギター、メロディー軽視、シャウト重視のパンクロックブームは長くは続かなかった。ダムドやラモーンズのようにパンクのスタイルを貫いていくバンドはいたが、全体としてのパンクムーブメントは消息していったと言って良いと思う。そんな中、そんな激しく移り変わる音楽シーンの中で自分達のロックスタイルを貫いている「THE JAM」にコアなファンは惹かれたのだろう。その後、多くのパンクバンドが解散に追い込まれていくなかで、THE JAMは活動を精力的に続けた。

THEJAMの解散が決まり、その声明が発表された後、ファンクラブが動き、過去、初の初登場1位を記録した記念のシングル『ゴーイン・アンダーグラウンド』が再度1位にチャート・インするという快挙をなしとげた。まるで「一番を取らせて欲しい」という言葉をステージ上でファンに向けてなげかけ、吉田拓郎による「春一番」の作曲でチャートの一位を記録した「キャンディーズ」現象のようである。私は、この年以後のロックはあまり好きではない。MTVによってショービジネス化してしまったロックからは何も魅力を感じない。せいぜい魅力的なものがNIRVANAぐらいである。THE JAMが生きた時代ぐらいまでが、ギリギリで最後のロックムーブメントなのではなかろうか。本当にロックを解るファンが、ライブハウスに足を運び、直接自らの耳で音楽を聴き、熱心にNMEに目を通す=活字で音楽を理解しようとする。ある程度、濃いロックムーブメントが起こっていたのがこのぐらいの時代までだと思うのだ。そのロックムーブメントをこじ開けたのはピストルズやクラッシュであると思うのだが、そのムーブメントを熟成させ、良いところを味わいながら、自らのロックを楽しみ、ファンと一体となっていたのがTHE JAMなのではないかと私は思っている。

IN THE CITY

今回とりあげるのはIN THE CITYである。THE JAMというと、多くの人は3rdアルバム『オール・モッド・コンズ』を好むらしいが、今回はあえてとりあげない。ポールウェラーも認めているようにそれは彼らにとって「過渡期」のアルバムである。ロックバンドってのはやっぱりいつだって、登場した頃が一番みずみずしい。しかも、パンクムーブメントの真っ只中に現れたファーストアルバム、その中に収録されていたIN THE CITY、そこからは、彼らのバンドとしての所信表明みたいなものが感じられる。多くのバンドが群雄割拠のようにうずまくなかで「俺達のスタイルはこれだぜ」というような明確に彼らの立場を示しているような感じがするのである。

IN THE CITY 楽曲

<予断だが最初のギターのリフは銀杏ボーイズがパクッでいる。>そのリフからはじまるIN THE CITY。演奏はうまいとはいえないと思う。音もそんなに良くはない。ギターをあまり歪ませることなく、ポップなメロディーにのせて、ポールウェラーの声が響く。私は一番初め、「クラッシュと瓜二つではないか???」と思った。しかし、何度も何度も聴きこんでいくうちに気づくのだ、「毒がない」これはポールウェラーの歌がうまいからだろうか、クリーンなギターのせいなのか、メロディアスなメロディのせいなのか、しかし、ギターにコーラスなどはかかっていない、ドラムもノーマルなレコーディング方法である。むしろ、ギターとベースのバランスが悪いぐらいで、それぞれの音に注目して聴いていると調和を無くしているかのように聴こえてしまうのだ。そんなアンバランスにきこえてしまう楽曲が、なぜ、これほどまでに美しく、新鮮に聴こえるのか私には不思議だった。後にその悩みは吹き飛ぶことになるのだが、その結論はひとまずおいておいて、歌詞の分析に入ろうと思う。

IN THE CITY 歌詞

まず、このフレーズを見て欲しい、

In the city there’s a thousand things. I want to say to you.

彼らの歌詞には「街」とか、「世界」というような「空間」を表す言葉が多く登場する。ここでいうtownというのはロンドンの町並みのことだろう。彼らはこの当時、キャッスルやナッシュビルといった当時のロンドンのパブなどをまわっていたのだろう。「沢山の事があってそれをお前にいいたいんだ」という言葉には何か新しい時代を感じさせるものがある。「リバイバルロック」とも言われた彼ら、3大パンクバンドが衰退していく中で、ずっとシーンにおいて生き残って行った彼ら、彼らにはロック群雄割拠のロンドンの町並みは、とても輝かしいものに見えたに違いない。ピストルズのように、曲の一番初めから、体制批判を繰り出すようなバンドと違って、このフレーズはとても鮮やかに、とてもポップに、そしてとても、極端にいうと「青く」私の耳に響いてくる。三大パンクバンドの中で、猛獣のようなロックバンドが沢山いる中で、「青い」自分達のロックを、夢や希望を抱き続けるような心を、そのまま、爽快なロックのリズムで、歌詞に落とし込んで表現している。なんて爽快な歌詞の始まり方であろう。彼らにとっては、群雄割拠のロック環境、イギリスロンドンの町並みは、希望にあふれたthousand thingsを抱えた街なのだ。

しかし、彼らはそのまま楽天的にロックを奏でているだけではない。次のフレーズが彼ら独自の立場を描き出している。

I want to say. I want tell you. About the young ideas, but you turn them into fears.

 なるほど。これだ。ポールウェラーがもっていて他の三大パンクバンドがもっていなかったもの。THE JAMというバンドが息の長い、濃密なバンドになって、かといって、ショービジネスにも突き進まなかった理由、そんなものが解ったような気がした。

彼らはパンクバンドと衣装の面でも一線をかくしていた。他のバンドは、安全ピンで服をとめたり、ピアスをあけたり、髪をツンツンに逆立てたり、ベースを弾きながら客と喧嘩したり、客につばを吐きかけたりしていた。しかし、ジャムは黒いスーツを着ていた。髭も伸ばさず、それは、初期のビートルズがパンクをやっているみたいであった。後にポールウェラーはこう言っている。「自分たちの個性を追求はしたんだけど、パンク・グループの影響は抜け出せなかったよ。今から考えると黒いスーツとネクタイはすごく強いイメージだよね。でも、なんでみんながまだパンクファッションにひかれるのか、わからなかったよ。」ポール・ウェラー「まだ、パンクパッションに惹かれているのか、わからなかった」と述べている。そうか、彼らにとって「パンク」とはもう過去のものだったのだ。と私は気づいた。彼らは常に新しい音楽を追及していたし、このロンドンが抱えているムードはまだまだその新しいものを生み出すと信じていた。単なる「体制批判」「ストレス発散」のためのパンクなんてすぐ終わると彼らは信じていたのかも、いや、それを達観していたのかもしれない。彼らは彼らのスタイルを守りながら、彼らの音楽を楽しめばいい、そうすればいつか時代が僕たちについてくる。そんなふうに思っていたのかもしれない。

but you turn them into fears. しかしあんた達は、それを恐れに変えちゃう。この言葉が私には他のパンクバンドに投げかけられている言葉であるとも思う。パンクムーブメントというのはショービジネスミュージックへの反発、プログレミュージックへの反発心から生まれた。強烈な社会を変えるエネルギーに満ち溢れていた。しかし、それは、逆に、自分達の音楽の目標がはっきりとしすぎているために、自分達の個性もはっきりと打ち出さなくてはいけなかったし、その個性のイメージというものはわかりやすく固定化する必要があった。三大パンクバンドと呼ばれるためには、潜在的な音楽の可能性は「ある意味で」閉ざさなくてはいけなかった。ピストルズが急に、哲学的な歌を歌うのは変だったし、ダムドはやっぱり暴力的な歌詞でなくてはいけない、三大パンクバンドになってしまった(?)彼らは、「自己変革」ということを内心恐れていたのかもしれない。なぜって、変革を要求している彼ら自身が変革してしまうならば、彼らの行為そのものが説得力を無くすからである。しかし、彼らは社会に対して「変革」を要求していた。パンクバンドは後にそんな自己矛盾に陥って言ったのではないだろうか??ポールウェラーが最初のフレーズで予言した。Thousand thingsの中のひとつの要素でしかないものになってしまったのではないだろうか。それを傍目でみていて、それさえも、歌にしてしまう。

ロンドンの中でうごめくバンド達、それら全員を俯瞰しながら、オリジナルなリズムによってオリジナルなメロディーを日々模索し続ける。「もっともっと俺達の可能性は広がり続ける」「俺達は変化し続ける」だから、あんたたち、そんなに固まっちゃいけないよ。変化する事を恐れちゃいけないんだ。ということを、彼らは訴えていたような気がする。私はここの歌詞からそんな印象を受けた。そんな彼らにとって、街で決まりきった生活をしている人達は「退屈」にみえてしょうがなかっただろうし、その彼らが決まりきったようにパンクバンドの音楽を聴いて決まりきったように騒いでいる状態こそ、退屈なものであったのかもしれない。

In the city there’s a thousand men in uniforms, and I ve heard they now have the right to kill a man.

ここに登場している男達というのは一般的に考えられるのは「つまらない日々を生きている労働者」のことであろうが、私はand以後の文章に注目する。ある男を殺すための光を手に入れた??この、光を手に入れた男、人々、これこそまさにパンクバンドの人達なんじゃなかろうか??誰かを攻撃するためにロックをする。パンクバンドの姿勢が、ここの歌詞が誘発するイメージと重なるのである。

事実、ダムドの歌詞の中には「後ろから刺してやる」という言葉が何度も出てくる楽曲があるし、シドビシャスはしょっちゅう客と喧嘩していたし、映画の中では銃を乱射していた。同じイギリスでプレイしている彼らにとって、三大パンクバンドの「攻撃性」というものは耳に入っていたと思う。彼らはやっぱり、そんな「決まりきった攻撃性」を表現し続けるしかないパンクバンドに退屈を感じていたのではないだろうか。そして、最後のフレーズで彼らはこうしめくくる。

We want to say, We gonna tell you, about the young ideas, and if it don’t work at least we tried, in the city,

IよりもWeのほうが訴えている気持ちが強い。そこには「共感」を求める気持ちが入っている。「もしお前らがこの街でやろうとすれば、何か起こるけど、お前らが何もしようとしなければ、何もおこらないよね、」そこには、彼らなりのメッセージがあったと私は思う。決まりきったパンクバンドを決まりきった衣装で、見ている典型的なパンクファンに対しての、ロックがいつのまにか、決まりきった演奏争いに終始してしまったのを批判して生まれたはずのパンクロックが、いつのまにか決まりきった格好、決まりきった楽曲、歌詞しか生み出さなくなってしまった。そんな彼らをみて、THE JAMはあえてスーツというuniformを身につけ、ロックの自由を歌った。そしてそのロックの自由は、一人一人がその「ロックの多様性の可能性」を信じ続ければ、まだまだ起こりうることなんだ、お前たちがやろうとすれば、それは起こることなんだよ。という事を彼らは信じていたのかもしれない。

THE JAM が 戦国時代を勝ち抜いた理由

荒けずりな楽曲ではあるが、そこに感じた「さわやかさ」それは、三大パンクバンドと比較したおいかげで私の中に浮かび上がった、彼ら独自のスタイルであり、それこそがまさにTHE JAMが生き残った理由でもあるし、彼ら独自の魅力であったと思う。どんなに周りにパンクムーブメントという魅力的な時代の強烈な流れが起きていたとしても、それでも、ロックの変化する多様性の可能性を信じてやまなかったTHE JAM、

三大パンクバンドが、thousand thingsのピースのヒトツに過ぎないよ、と、あっけらかんとさわやかなクリーンなギターによるポップなメロディによって歌い上げたポールウェラー、そしてなによりもやっぱり、ファンを大切にした、かれらの姿勢、そんなものがTHE JAMを濃密なバンドにした理由なのではないか?と私は思うのである。『勝手にしやがれ』という身勝手なロックバンドが多かった中、彼らの時代を達観した音楽はさわやかに今の僕にも新鮮に響くのである。「ロックが死んだ」といわれる今の時代でも、in the city を聴きながら、東京の街に未だ「眠っている」変化をし続けるロックを探したい衝動に駆られるのである。

参照HP

http://plaza15.mbn.or.jp/~modskyushu/thejamstory.html

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コメント

文中の~吉田拓郎による「春一番」の作曲でチャートの一位を記録した「キャンディーズ」現象~ですが、正しくは

投稿: | 2006年7月17日 (月) 12時07分

作詞阿木燿子、作曲穂口雄右による「微笑み返し」

投稿: | 2006年7月17日 (月) 12時16分

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