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2006年10月29日 (日)

家計簿

昔から家計簿というものは大嫌いだった
『そんなものはキチンとしたい人だけがつければ良い』
『そんなものつけていたらストレスが溜まってしまう』

小学校の頃から夏休みのスケジュールを立てるのも大嫌いだったし
明日の予定について色々細かく人に決められるのは大嫌いだった

というのもやはり
「家計簿などをつける人はケチなのだ」
という印象があったからだと思う

数字とにらめっこし
どうやったら少しでもお金が節約できるか

幼い頃の私はそこに嫌悪感を覚えた
当時の私は音楽漬けの毎日をおくっており

想像力こそが人の能力の鍵となるものだと勝手に思っていた
しかし、それが大きな間違いであったことに最近気づかされた

きっかけは、一冊のメモ帳に家計簿みたいなものをつけはじめたことである
あまりにもお金を使いすぎてしまい、収入と支出のバランス崩れてしまい
ひもじい生活を3ヶ月連続で生活したことにより、
『これはサスガにやらなくては』ということではじめたのである

すると、どうだろう、私は
身の周りに数字というものが意外に多く溢れている
ということに気づいた

そして数字とにらめっこするということは
機械のような思考回路で機械化してしまうことではなくて

機械のような思考回路で豊かな想像力を発揮する
人間の隠された能力を発揮するきっかけになるのだ
という事であった

数字をつかってスケジュールをこまめにつけていくと
無駄なところや余分なところが具体的にはっきりと解る
そしてそれはそのうち紙に書かなくても解るようになる
それが記憶力も呼び戻しシュミレーション能力も高めだす

豊かな想像力
豊かな思考力のためには
豊かな整理力が大切であったのだ

ひょっとしたら
『あれは一番自分に向いていない』
と思うことほどやってみて価値があることなのかもしれない

なぜなら、あなたにとって得意なこと、というのは
あなたが何度もやっていること、とイコールであるため
すぐにでも「退屈してしまうこと」に転落してしまう恐れがあるからだ

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2006年10月24日 (火)

しかる。ほめる。技術。

人に面とむかって文句を言わなくてはいけない時は誰にでも訪れる
それをしないとより深い人間関係には決してなれない

ただ、「文句を言う」「相手の悪いところを指摘する」
これが得意な人は誰もいない

しかし、これが、得意な人には
何か共通しているところがあるように最近感じるのだ

おそらくそれは、ある習慣を持っているか
持っていないかの違いではないかと最近思っている

その習慣とは「罪を憎んで人を憎まず」の姿勢ではないだろうか
人と物を分けて考える姿勢、これが出来る人は
「悪い意味で」人をみかけで判断したりしない

あなたが悪いのではなくて。あなたが「○○をやらなかった」
その行為を悪いと指摘してあげる。

これがうまくできるかどうかがポイントとなってくる

さらにこれは相手を褒める時にも応用できる
親が子どもを褒めるとき

人格を褒めるよりも
やった「行為」を褒めるようにしてみてはどうだろう?

人格を褒め続けると子どもは確実に「甘える」
そして人格の承認なしでは物事をやらなくなってしまう
がんばらなくなってしまう

そういう子は傷つきやすくなる

「すごいね、あなたが凄いからこれが出来たね」
と褒める前に
「すごいね、こういう事を出来たあなたはすごいね」

と褒める工夫をしてみてはどうか

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2006年10月17日 (火)

何故、自殺するのか?

福岡県筑前町立三輪中で
中学2年の男子生徒が自殺した

マスコミは「自殺を隠蔽した学校の体質」
を批判し、教育委員会などにもその矛先を向けている

自殺した生徒は成績も優秀で
町の人々にもとても評判が良かったらしい

そんな生徒が何故?
多くの大人たちは思うのかもしれない

私から言わせてもらえば
そんな生徒だから苛められるのだ

これは別に「苛められたほうが悪い」と
言っているわけではない、私はむしろ危機感を覚えている

エリート生徒、優しい生徒、そんな生徒達は
そうではない生徒よりも、傷つきやすく、脆い、

小さい頃から、親の期待にこたえようと、
先生の期待にこたえようとしてきた彼らの自我意識は

驚くほどに脆い

彼らは頭がいいから「命の大切さ」「弱い物を守ることの大切さ」
を教えたとしても、要領よく理解し、それを実行してくれる

ただ、大人たちは気づいていない
彼らが、それを実行するのは

大人たちが彼らを「褒める」
クラスの人々が彼らを「褒める」
という「承認行為」と引き換えに行われているのだ

だから、ひとたびこの承認行為が崩れてしまえば
彼らは驚くほどに「脆さ」を露呈してしまう

「いじめ」を防ぐことも大切だが
「いじめ」で何故「自殺にまでいたってしまうのか?」

という議論が抜け落ちている気がする

「あれだけ苛められたら誰だって死んでしまうわ」
そういう論調の前に

もう少しだけ冷静に
「何故、自殺してしまうのか?」

ということを掘り下げて考えてみても良いと思う

本当の意味で優しくて
周りの事を考えている人ならば

親を残して死んでしまうということは
ありえないと私は思う

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2006年10月 5日 (木)

興味が変化した

現在の子供たちが昔の子供たちと比べて
興味を持つようになったもの

それは、

自分を表現すること。
他人からの自分の評価を気にする事。
人の見分け方を見きわめたいこと。

というようなことである

よく大人たちが

「最近の子供は
テレビゲームばかりをやっていて、
インターネットにばかりはまっていて、
物が溢れていて甘やかされているから
駄目になった」

みたいな言い方をするが
私は、このような考え方をしている大人達は
いつまでたっても子供を伸ばす事は出来ない
と思っている

彼ら大人たちが育った次代には物が無かった
だから、彼らはコツコツ頑張った
そして、彼らは
「物が無かった時代」にこそ
ハングリー精神が根付くものだと思っている

コツコツ頑張る。謙虚な気持ち。
そんなものは「物が無かった時代」。
貧しかった時代にこそ身についたものだと感じている。

ただ、こうも考えられないか?

物が無かった から「裕福になろう」
という方向に、人々の生きる目標のベクトルがわかりやすく結集し
生きる意味、人からの評価、そんなものを気にせずとも、
毎日、必死に、がんばりさえすれば、充実した人生を送れた

がんばりさえすればよかったのだ
目標はただ一つであったのだから

今の子供たちには目標は無数にある
昔の大人たちの時代とは比べ物にならないほど難しい時代なのである

現代は豊かな時代などでは決してない
物質的には恵まれているが

精神的にはとてつもなく生きにくい時代だ
そんな時代の中で「社会で認められる大人になれ」という要求は
あまりにもハードルが高すぎるし

だいたい、ここで大人達が考えている「社会」というのが
彼らが若かった頃の常識で考えている「社会」なので

子供たちはますます混乱してしまう
誰もがもはや気づいているのだ

英語を6年間もやってるのになんで話せないの?
数学をあんなにやっているのになんで全て忘れちゃうの?

そんな時代に生まれている子供たちが

そして、現代の子供たちにはそれが身についていない。
そう判断する。果たしてそうであろうか?

自分を表現すること。
他人からの自分の評価を気にする事。
人の見分け方を見きわめたいこと。

に興味を持ち始めているのは時代の必然だとも思うし
私はそこにこれからの日本における教育の可能性を感じる

生徒の「やる気」をあげるためには
この生徒達の気持ちを伸ばしてあげなければいけない

つづく

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教師が生徒に伝えたかったこと

教師が伝えなくてはいけないもの
それは「勉強の楽しさ」である

人口減少社会に突入し
記憶力の重要性は無くなった

先生の言われた通りに勉強して
そういう勉強を楽しむ人材は

これからの社会では苦労するだろう
記憶力は人間よりコンピューターの方が勝っている

会社の一部となって「ただ単にシステムを動かす」
物を作ればとりあえず売れる、
大量生産時代に生み出された経営戦略を支えるためにには

記憶力、情報力、知識力
そして、努力、体力、
根性
が必要になる

そういうものにポスト情報化社会
ストーリー社会に生きている子供たちは

嫌悪感を覚える
知識ではなく感覚、印象、感情で動く世代の子供たちは

大人たちが無理やり彼らの「知識」とか
「知識の集め方」とか「自己満足な話し方」とか

そんなものに大抵今の子供たちは嫌悪感を感じる

昔の大人たちは「知識を覚える⇒楽しさを感じる」
の順番だったのが
現代の子供たちは「楽しさを感じる⇒知識を覚える」
なのである

だからまず私たちは子供たちに
楽しさを感じさせなくてはいけない

そうでなくては彼らは知識を覚えよう吸収しようとは思わない

では、どうすれば彼らは知識を効率よく吸収するか?
今度はそれについて考えてみよう

つづく

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